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SUPER EIGHT(関ジャニ∞)の横山裕さんは、明るいキャラクターからは想像できないほど波乱万丈な生い立ちを歩んできました。
横山裕さんには父親と呼べる人が3人いた複雑な家庭環境に育ち、さらに母親の急死や弟の記憶喪失といった過酷な出来事にも直面しています。
中学校を卒業するとすぐに就職しながら、並行してジャニーズでの活動を続けた横山裕さん。
この記事では、そんな横山裕さんの壮絶すぎる生い立ちを、時系列でわかりやすく振り返っていきます。
横山裕の生い立ちが壮絶すぎる!時系列で解説
横山裕さんの生い立ちは、まさに波乱万丈で壮絶でした。
横山裕さんは幼少期から辛い家庭環境に直面しながらも、横山裕さんの努力と家族への深い愛情で逆境を乗り越えてきました。
横山裕さんの生い立ちを時系列で解説し、幼少期の両親の離婚から始まり、中学時代の苦労、そして関ジャニ∞としてのデビューまでをわかりやすくまとめます。
横山裕3歳の頃:両親が離婚
横山裕さんが3歳の時に両親が離婚しました。
横山裕さんの母親が親権を持ち、シングルマザーとして生活します。
両親の離婚時は幼かったこともあり、横山裕さんは実の父親の顔は覚えていないそうです。
横山裕5歳の頃:母親が再婚&義父の姓「横山」になる
横山裕さんが5歳の頃、母親が再婚しました。
この再婚により、横山裕さんは義父の姓である「横山」を名乗ることになりますが、義父との関係はあまり良好ではなく、義父からは厳しい扱いを受けることもあったそうです。
横山裕さんの母親が再婚後に2人の弟が誕生し、横山裕さんにとって大切な存在となります。

義父は血のつながりがない横山裕さんに対して手をあげることもあり、横山裕さんは居場所を感じられず、団地の2回上に住む祖父母の家に預けられて過ごすこともありました。
横山裕さんの母親は狭い5畳の部屋で、再婚相手と子どもたちと暮らしながら経済的な苦労を背負い尽力されていました。
横山裕中学時代:アルバイトを掛け持ち
横山裕さんの中学時代は、家庭の経済状況が厳しかったため複数のアルバイトを掛け持ちし、家計を支えていました。
横山裕さんは中学でバスケットボール部に所属し、大阪選抜にも選ばれるほどの腕前を持っていましたが、学校帰りにうどん店やコンビニで働くなど、時間に追われる日々を過ごしました。
横山裕中学3年生:ジャニーズ入所
横山裕さんは中学3年生の時、1996年12月25日にジャニーズ事務所に入所しました。
入所のきっかけは、同級生のジャニーズJr.のテレビ出演を見て「俺らも入れるんちゃう?」と友人達と履歴書を書くも、送付先がわからず放置していたら、横山裕さんの母親が「うちの子もできるのでは」と思い、勝手に履歴書を事務所に送ったことでした。
面接では審査員の滝沢秀明さんに落とされかけましたが、ジャニーズ事務所の当時社長ジャニー喜多川さんの目に留まり、「You、舞台見に来る?」と声をかけられ、奇跡的に合格を果たしました。
横山裕中学卒業:建設会社に就職
横山裕さんは中学を卒業後、家計を支えるため建設会社に就職しました。
横山裕さんは家庭の経済的な事情から進学を断念し、工事現場での肉体労働を始め、その間もジャニーズJr.としての芸能活動は続けていました。
横山裕さんは中学卒業後は家計のために建設会社に就職しながらも、作業着のままジャニーズのレッスンを受けるなど、仕事と芸能の両立に苦労しました。
横山裕23歳:関ジャニ∞でデビュー&母親の癌&離婚
横山裕さんは23歳の時、2004年8月25日に関ジャニ∞としてCDデビューを果たしました。
関ジャニ∞は2002年に結成された関西ジャニーズJr.のグループで、デビュー曲は「浪花いろは節」で、2004年9月22日に全国デビューも果たしました。

関ジャニ∞の活動は横山裕さんにとって芸能界での大きな飛躍の瞬間でした。
しかし、横山裕さんが関ジャニ∞でデビューして間もなく、母親に癌が見つかり、義父との関係も悪化して離婚しています。
横山裕さんの母親に癌が見つかり、治療に専念したことで、収入が激減したことなども重なって、義父との離婚にもつながりました。
そのため、弟・次男の横山勤さんと三男の横山充さんは、児童養護施設で生活することになります。
横山裕29歳:母親が他界&弟が記憶喪失
横山裕さんが29歳の時、2010年5月16日に母親が虚血性心疾患のため急逝されました。
横山裕さんは青森県でソロライブを控えており、開演わずか4時間前に訃報が伝わり、大きなショックを受けますが、横山裕さんはライブを予定通りに開催しました。

横山裕さんの母親が亡くなる1カ月前に撮影された写真で、これが最後の1枚となったそうです。
さらに、母親の死は弟たちにも大きな影響を与え、横山裕さんの弟・次男の横山勤さんはショックから「解離性健忘症」を患い、母親が亡くなったことを含む約2年間の記憶を失ってしまいました。
横山裕さんは弟たちを支えながら、自身も芸能活動を続けるという困難な状況を乗り越えました。
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参考横山裕の弟の記憶喪失は母親の死が理由?死因や次男と三男の当時の年齢は?
横山裕は父親3人に代わって家計を支えてきた
横山裕さんには「お父さん」と呼べる人が3人いたことを明かしています。
実の父親は顔も分からない状態で、母親が再婚した義父が2人目の父親となり、その義父の姓「横山」を名乗ることになりました。
その後、再び横山裕さんの母親が離婚と再婚、さらに離婚をして、最終的にはシングルマザーとなっています。
こうした複雑な家庭環境の中で経済的に厳しく、横山裕さんは中学生の頃から、父親3人に代わり家計を支え、弟たちの面倒も見てきました。
中学卒業後は建設会社に就職して働きながら、ジャニーズ事務所の活動を続け、家計を支えるために必死に働き、弟の大学の学費を横山裕さんが支払っています。
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参考横山裕の弟は税理士!出身大学と次男の職業は?学費はいくら負担した?
まとめ
横山裕さんの生い立ちは、幼少期の両親の離婚から始まり、5歳の時に母親の再婚で姓が「横山」になったこと、中学時代のアルバイトやジャニーズ入所などの苦労、そして建設会社への就職と芸能活動の両立、23歳での関ジャニ∞デビューまでの道のりで構成されています。
さらに横山裕さんが29歳の頃に母親を失い、弟の記憶喪失という苦難も経験。こうした壮絶な経験を経て、横山裕さんは強さと家族愛を持つ人物へと成長しました。
この時系列を通じてわかるのは、横山裕さんは逆境にめげず努力し続けたことと、家族を大切にする思いが彼の人生を支えているということです。
多くの人に勇気を与える生い立ちと成長の物語として、多方面で評価されています。
