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細木数子 若い頃から波乱万丈な生い立ち!中1で売春宿の客引き?父親は暴力団だった?

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“六星占術”で一世を風靡した細木数子さんですが、その若い頃の生い立ちは驚くほど波乱万丈でした。

中学1年生で売春宿の客引きをしていたという衝撃の噂や、父親が暴力団関係者だったのではという話まで浮上しています。

この記事では、細木数子さんの知られざる幼少期や家庭環境、そして強烈な人生観を形づくった背景について解説します。


細木数子 若い頃から波乱万丈な生い立ち!

細木数子さんの若い頃の生い立ちは、非常に波乱万丈でした。


細木数子さんは1938年(昭和13年)東京の渋谷区で生まれ、幼少期は戦時中の混乱と戦後の混乱期で、実家は青線地帯と呼ばれる売春宿を経営していました。



この時期は物資不足や混乱が続いており、生活は非常に厳しい環境で、細木数子さん自身も多くの苦労を経験しています。

細木数子は中1で売春宿の客引きをしていた

細木数子さんは中学校1年生の頃から、実家の売春宿で店番や客引きを手伝っていました

細木数子さんの実家の売春宿は「娘茶屋」と呼ばれ、政府非公認の売春行為が行われていた地域です。


当時は覚醒剤のヒロポンが使用され、店の女性が逃げないようにしていたといった厳しい状況もあったようです。


細木数子さんは自身の過去について、テレビ番組でも語ったことがあり、当時の厳しい生活環境が伝わってきます。

細木数子は17歳で喫茶店「ポニー」開業

細木数子さんは17歳の時に東京駅近くの丸の内に、喫茶店「ポニー」を開業しました。

細木数子さんは成徳女子高等学校に通っていましたが、高校3年で中退し実業の世界に進んでいきます。


東京駅の高架下に出した小さな店ながら、細木数子さんの経営手腕で繁盛し、わずか半年で売却し、売却資金を基にして新橋でクラブ「潤」を開業し、こちらも成功させています。

細木数子は20歳で銀座のクラブママに!

細木数子さんは1958年の20歳の時に、銀座にクラブ「かずさ」を開業し、クラブママとして活躍しました。


銀座でのクラブ経営は当時非常に競争が激しく、大変な仕事でしたが、ママとして数多くの経営手腕を磨き、銀座の夜の世界でその名を知られる存在にまでなりました。

そこで築いた人間関係は、後の芸能界での活躍にもつながっています。

細木数子の家族構成

細木数子さんの家族構成は、父親・母親・8人兄弟の10人家族でした。

細木数子さんは、8人兄弟の4女で3人の兄と5人の妹がいます。


細木数子さんの父親は、太平洋戦争が始まるころには政治活動から身を引き、渋谷で「ロマンスクラブ」というカフェを開業し、その後「南海」と改名し、広い人脈を築きました。

父親は1945年の細木数子さんが6歳の時に亡くなり、その後は母親と共に暮らしました。

母親は父の愛人の一人でしたが、売春宿を経営しながら家計を支え、細木数子さんも子どもの頃から家業を手伝っていました。

細木数子の父親は暴力団だった?

細木数子さんの父親・細木之伴(ほそき ゆきとも)さんは明治8年(1875年)生まれで、政治活動家であり実業家でした。

細木数子さんの父親・細木之伴さんは、直接的に「暴力団」ではありませんでしたが、暴力団に近い組織である「民政党院外団」の壮士として活動していました。


院外団は政治的な圧力や抗争に関わる集団で、その活動は暴力的・過激な面も多く、現在の暴力団に近い存在とされます。


晩年は政治活動を離れてカフェを経営し、暴力団関係者とも繋がりがあったため、細木数子さんは幼少期から暴力団関係者とされる人物と関わっていました。




まとめ

細木数子さんの若い頃の生い立ちは、非常に波乱万丈であり、中学1年生での売春宿での客引きや、17歳での喫茶店開業、20歳で銀座のクラブママになるなど、目まぐるしい変化と成功の連続でした。

家族構成も複雑で、父親は政治的に激しい活動をしていた人物であり、その影響は数子さんの人生に深く刻まれています。

こうした厳しい環境で育った細木数子さんは、これらの経験が占い師としての成功、テレビでの強烈な個性を発揮する土台となったのです。

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