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ムロツヨシさんの明るい笑顔の裏には、想像を絶するほど壮絶な過去が隠されています。
幼い頃に母親・父親が不在となり、複雑な家庭環境の中で育ったムロツヨシさん。
ムロツヨシさんの姉は思春期に家を出て行方不明となり、頼りにしていた親戚も父親の借金の保証人となったことで自己破産に追い込まれました。
この記事では、ムロツヨシさんの母親や父親、家族構成、壮絶な過去について解説します。

ムロツヨシ母親・父親が不在の幼少期
ムロツヨシさんの幼少期は、母親・父親が不在という非常に複雑な環境でした。

ムロツヨシさんは4歳のときに両親が離婚し、親権は父親が持つことになりましたが、母親とはそのまま生き別れになりました。
離婚後の親権は父親が持ちましたが、父親もすぐに新しい女性と暮らし始め、ムロツヨシさんと姉は父親の元で育つことはありませんでした。
実際には父方の叔母の家族や祖父母に引き取られ、親戚の家で育てられることになります。
このような状況の中、ムロツヨシさんは幼いながらも「自分には母親がいない」と周囲に話していたそうですが、かわいそうだと思われるのが嫌で、明るく振る舞うことを心がけていたと語っています。
ムロツヨシさんの幼少期は、両親が不在で親戚に育てられるという波乱万丈なものでしたが、その経験が現在の明るさや人間性、俳優としての深みにつながっています。
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ムロツヨシの両親が離婚した理由は?
ムロツヨシさんの両親が離婚した理由は、主に父親の女性関係や夫婦間の不和が原因とされています。
ムロツヨシさんが3歳の頃から両親の喧嘩が絶えず、ついには4歳のときに離婚となりました。
離婚の際、親権は父親が持つことになりましたが、実際には父親が子どもたちの面倒をみることはほとんどありませんでした。
ムロツヨシさんの父親は新しい女性と暮らし始め、ムロツヨシさんと姉は親戚や祖父母の家に預けられることになりました。
また、ムロツヨシさんは最後に見た母親の姿について「トランクに荷物を詰める後ろ姿だった」とも語っており、母親は新しい家庭を築き、以降一度も会うことがなかったとされています。
このように、両親の離婚は家庭内の不和が大きな原因であり、ムロツヨシさんの幼少期に大きな影響を与えています。
ムロツヨシの父親は再婚を繰り返していた
ムロツヨシさんの父親は、母親と離婚後も再婚を繰り返していました。
一時期、ムロツヨシさんの父親はアパートを2部屋借りて、1部屋には自分と再婚相手とその連れ子たちが住み、もう1部屋にはムロツヨシさんと姉と祖父母が暮らしていたという複雑な家族構成だったことも語られています。
ムロツヨシさんの父親はその後も何度か再婚・離婚を繰り返し、ムロツヨシさんと父親が一緒に生活する時間はほとんどありませんでした。
また、ムロツヨシさんが戸籍謄本を取った際、知らない間に父親が再婚していたこともあったと明かしています。
ムロツヨシさんの父親の職業は大工で、仕事ぶりはかっこよかったとムロツヨシさんは語っていますが、父親の自由奔放な生き方が家庭環境をさらに複雑にしていました。
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ムロツヨシの実家と家族構成まとめ
ムロツヨシさんの実家や家族構成は、複雑な生い立ちで、神奈川県横浜市港北区菊名が出身地とされていますが、実際には親戚や祖父母の家で育てられました。
ムロツヨシさんの家族構成は、父親・母親・5歳年上の姉・ムロツヨシさんの4人家族でしたが、両親の離婚後は親戚夫婦や祖父母、従妹たちと一緒に7人家族のような形で暮らしていました。
- 父親(大工・ムロツヨシが21歳以降は絶縁状態)
- 母親(4歳から疎遠・40年ぶりに再会)
- 姉(5歳年上)
- ムロツヨシ
- 父方の祖父母
- 親戚夫婦(叔母夫婦)
- 親戚の娘二人(従妹)
このように、ムロツヨシさんの実家は「神奈川県横浜市港北区菊名」にあり、実の両親と過ごした時間はごくわずかでした。
両親の離婚や父親の再婚、親戚の家での生活など複雑な事情を経て、育ての親である叔母一家や祖父母に実の子供のように育ててもらい、今でも大切な存在だと明かしています。
ムロツヨシの姉は家出し行方不明
ムロツヨシさんの姉は、ムロツヨシさんより5歳年上で両親が離婚した時は、姉が小学4年生、ムロツヨシさんが4歳のときでした。
ムロツヨシさんと姉は複雑な家庭環境の中で育ち、姉は思春期に強いストレスを抱え、非行に走るなど「道を外れる」時期があり、祖父母や親戚も姉の反抗期にはとても苦労したとムロツヨシさん自身が語っています。
その後、ムロツヨシさんの姉は預けられていた親戚の家を出て行ってしまい、現在も行方は分かっていません。
ムロツヨシさんは、唯一の家族であった姉が家を出て行ったことにより、さらに孤独感を強くしたと語っています。
しかし、姉の苦しみや行動について「すごくつらかっただろうな」と理解を示しており、両親の離婚や家庭の崩壊が姉弟それぞれに大きな影響を与えたことは間違いありません。
ムロツヨシ母親との再会エピソード
ムロツヨシさんは、4歳で母親と離れ離れになって以来、40年以上会うことがありませんでした。
そんなムロツヨシさんが母親と再会を果たしたのは、テレビ番組「さんまのまんま」に出演したことがきっかけでした。

2019年5月に「さんまのまんま」に出演した際、ムロツヨシさんは「4歳で両親が離婚して以来、母親と会っていない」と語り、その放送を見た母親が、ムロツヨシさんの所属事務所に「私が生んだ子だと分かりました。お会いできませんか」と手紙を送ってきたのです。
再会を迷っていたムロツヨシさんに、リリー・フランキーさんが「会わない後悔より会う後悔」と背中を押し、ついに再会を果たしました。
再会の際、母親は「やっと会えました」と涙ながらに喜び、「4歳の時に離れてしまって申し訳ない」と謝罪しましたが、ムロツヨシさんは「謝らないでください」と伝え、「産んでくれてありがとうございます」と感謝の言葉を伝えました。
ムロツヨシさんは母親の新しい家族のことも考え、「これ以上は踏み込まないようにする」と伝えたそうです。
再会の後、母親からは連絡先の交換を提案されましたが、ムロツヨシさんは育ててくれた叔母家族への配慮から、その申し出を断りました。
また、母親と会ったことを育ての親である「親戚のおばちゃん」に伝えると、「良かった、会えたんだね」と言われたことも明かしており、母親との再会は、ムロツヨシさんの人生にとって大きな出来事となりました。
ムロツヨシの父親の借金で親戚が自己破産の過去
ムロツヨシさんの人生には、父親の借金問題と、それに巻き込まれた親戚の自己破産という壮絶な過去があります。
ムロツヨシさんの父親は借金をしており、その連帯保証人になっていたのが、ムロツヨシさんと姉を実の子どものように育ててくれた親戚夫婦でした。
父親の借金返済が滞ったことで、親戚夫婦は連帯保証人として多額の返済義務を負うことになり、最終的に自己破産に追い込まれてしまいました。
この出来事は、ムロツヨシさんの家庭を大きく揺るがすものでした。家庭の経済的な崩壊は、ムロツヨシさん自身の進路にも影響を与え、大学を中退する一因にもなっています。
ムロツヨシ父親とは21歳で絶縁状態に
ムロツヨシさん父親の借金のせいで親戚が自己破産したことをきっかけに、ムロツヨシさんは父親と絶縁する決断をし、21歳のとき、「お互い好きな道を行こう」と手紙を書き、それ以来父親とは会っていません。
ムロツヨシさんは「親父のせいで親戚の家が破産状態になった」と率直に語っていますが、父親を恨む気持ちはなく、「好きなことをやって生きてほしい」とも話しています。
また、父親からは時折電話がかかってくることもあるそうですが、育ての親である親戚一家を大切にしたいという思いから、父親とは会わないようにしていると語っています。
まとめ
ムロツヨシさんの母親・父親が不在の壮絶な過去や家族構成、父親の借金による親戚の自己破産といった経験は、ムロツヨシさんの人生や俳優としての姿勢に大きな影響を与えました。
両親がいないという事実を隠すことなく、むしろ明るく前向きに生きる姿勢は、多くの人に勇気や共感を与えています。
親戚や祖父母に支えられながら育った経験が、ムロツヨシさんの人間性や演技力の土台となっており、今も育ての親である親戚一家を大切にしています。
このように、ムロツヨシさんの生い立ちは決して平坦ではありませんでしたが、逆境を乗り越え、家族の絆や感謝の気持ちを大切にしながら歩んできたことが、現在の活躍につながっています。