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ウルフアロンさんがなぜプロレス転向を決意したのか、そして過去に柔道家からプロレスに転向した有名選手たちの戦歴はどうだったのか――。
2021年東京オリンピック金メダリストであり、柔道界のトップに立ったウルフアロンさんが、2025年6月に新日本プロレス入団を電撃発表し、格闘技界に大きな衝撃を与えました。
本記事では、ウルフアロンさんがプロレス転向を決断した理由や経緯をわかりやすく解説するとともに、坂口征二さん、小川直也さんなど、柔道界からプロレス界へと活躍の場を移したレジェンドたちの戦歴も詳しくまとめます。

ウルフアロンがプロレス転向した理由は?
ウルフアロンさんがプロレス転向を決断した理由は、主に「プロレスが好きだから」という純粋な思いと、「柔道でやり残したことがなくなったから」という達成感、そして「自分の生きざまを表現できる舞台」としてプロレスに強く惹かれたことが挙げられます。
- 「プロレスが好きだから」
- 「柔道でやり残したことがなくなったから」
- 「自分の生きざまを表現できる舞台」
ウルフアロンさんは大学生時代から毎週『ワールドプロレスリング』を録画して観ており、プロレスラーが裸一貫で戦う姿や、柔道とは違う“見せ方”に大きな魅力を感じていました。
「なぜプロレスか?」という問いに対し、「好きだからです」と即答し、プロレスへの純粋な情熱が転向の原動力となりました。
また、東京オリンピックで金メダルを獲得し、パリ五輪を最後に現役を引退したことで「すべてをやり切った」と納得できたことも大きな理由です。
プロレス転向は、ウルフアロンさんにとって新たな挑戦であり、柔道で培った経験や精神力を新たな舞台で活かしたいという前向きな決断でした。
ウルフアロンがプロレス転向を決意した経緯
ウルフアロンさんがプロレス転向を決意した経緯は、2024年パリ五輪後に「やり残すことなく柔道をやれた」と実感し、心から納得したうえで新たな道を選んだことにあります。
ウルフアロンさんは自ら新日本プロレスに入団を希望し、2025年6月23日に正式発表されました。
入団会見では「新たな舞台にチャレンジできることに喜びを感じている」と語り、「プロレスをやるなら新日本しか考えられなかった」とその強い思いを明かしています。
- 2021年:東京オリンピックで男子100キロ級金メダルを獲得
- 2024年:パリ五輪7位
- 2025年6月8日:全日本実業柔道団体対抗大会を最後に正式に柔道現役生活を引退
- 2025年6月23日:新日本プロレス入団を正式発表
日本の柔道五輪金メダリストとしては史上初のプロレス転向で、ウルフアロンさんのプロレスラーとしての挑戦に注目されます。
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柔道家でプロレス転向した有名選手と戦歴
柔道家からプロレスに転向した有名選手は数多く存在し、その多くがプロレス界でも大きな実績を残しています。
ウルフアロンさんも、こうした先人たちに続く存在として注目されています。
プロレス転向した人①木村政彦
木村政彦さんは「鬼の木村」と呼ばれ、全日本選手権13年連続保持、15年間不敗という伝説的な柔道家です。
身長170cmと小柄ながら、圧倒的な強さで「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と称されました。

木村政彦さんは、1950年に師匠の牛島辰熊さんが旗揚げした「国際柔道協会」いわゆるプロ柔道に参加しますが、プロ柔道の興行不振や家族の治療費が必要になったことから、協会を脱退しハワイでの柔道巡業へ。
現地での人気を背景に、プロレスのプロモーターから誘いを受け、プロレスラーへと転身しました。
1954年にはプロレスラーとして力道山さんとタッグを組み、シャープ兄弟と全国を巡業。後に力道山さんとの「昭和の巌流島」と呼ばれる試合が実現しますが、木村政彦さんはKO負けを喫しプロレスの一線を退きました。
プロレス転向した人②坂口征二
坂口征二さんは1965年全日本選手権優勝など柔道界で活躍し、世界選手権でも活躍し、「打倒アントン・ヘーシンク」の期待を一身に背負った大型選手でした。
1964年の東京オリンピックで日本柔道が無差別級でオランダのアントン・ヘーシンクに敗れたことを受け、「打倒ヘーシンク」を目標に掲げていましたが、1965年の世界選手権でヘーシンクに判定負けした後にヘーシンクが引退してしまい、最大の目標を失ってしまいます。
また、1968年のメキシコオリンピックで柔道が正式種目から外れたことも大きな転機となりました。
坂口征二さんは1967年に旭化成工業を退職し日本プロレスに入団し、渡米してカール・ゴッチの指導を受け、プロレスラーとしてデビューしました。

その後アメリカ遠征を経て新日本プロレスの看板選手となり、ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんと並ぶスター選手として数々のタイトルを獲得、新日本プロレスの発展にも大きく貢献した存在です。
坂口征二さんは新日本プロレスで副社長、後に社長も務め、団体の屋台骨を支えました。
プロレス転向した人③小川直也
小川直也さんは1992年バルセロナ五輪95kg超級で銀メダルを獲得し、世界選手権無差別級3連覇など輝かしい柔道実績を持ちます。
小川直也さんは1997年に日本中央競馬会(JRA)を退職し、アントニオ猪木さんと佐山聡さんが設立したUFO(世界格闘技連盟)に入団しプロレスラーとしての活動をスタートさせました。
その後、新日本プロレスに参戦し、デビュー戦は1997年4月12日、東京ドームで当時IWGPヘビー級王者だった橋本真也さんと対戦。必殺技「STO(スペース・トルネード・オガワ)」から裸絞めで勝利し、プロレス界に衝撃を与えました。

小川直也さんは「暴走王」「ハッスルキャプテン」としても知られ、プロレス人気を再燃させる役割も担いました。
プロレスではヒール(悪役)としても活躍し、「新日本プロレスファンのみなさん、目を覚ましてくださ〜い」という発言で大きな話題を呼びました。
プロレス転向した人④神取忍
神取忍さんは、1983年から全日本選抜柔道体重別選手権66kg級で3連覇を果たし、1984年の世界柔道選手権大会で3位という輝かしい実績があります。
神取忍さんは、オリンピック正式種目となる前の女子柔道界でトップ選手として活躍していました。
しかし、柔道仲間が神取忍さんに内緒でジャパン女子プロレスという新団体に履歴書を送ったことがきっかけで、1986年にプロレス界入りしました。

1986年、ジャパン女子プロレスでデビューし、デビュー4カ月でUWA女子世界シングル王座を獲得しています。
1999年には格闘探偵団バトラーツのマッハ純二さんに勝利し、2000年には天龍源一郎さんとシングルマッチで対戦し、TKO負けながらも壮絶な試合を見せました。
まとめ
ウルフアロンさんがプロレス転向を決意した理由は、「プロレスが好き」「柔道でやり残したことがない」「自分の生きざまを表現したい」という強い思いが重なった結果です。
ウルフアロンさんは柔道で頂点を極めた後、人生の新たな挑戦としてプロレスの道を選びました。
また、木村政彦さん、坂口征二さん、小川直也さん、アントン・ヘーシンクさん、ウィレム・ルスカさんなど、柔道家からプロレスに転向し成功した先人たちが多く存在します。
ウルフアロンさんは、こうした偉大な選手たちに続く存在として、今後のプロレス界での活躍が大いに期待されています。