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NHK連続テレビ小説『あんぱん』のモデルとなり、改めて大きな注目を集めている『アンパンマン』の生みの親・やなせたかし氏と、その最愛の妻である小松暢(こまつ のぶ)さん。
遅咲きだったやなせ氏を支え続け、「アンパンマンの真の生みの親」とも称される小松暢さんですが、小松暢さんの生涯は非常にパワフルで、まさに朝ドラのヒロインにふさわしい激動の人生でした。
ネット上では「二人の歳の差は?」「どんな馴れ初めだったの?」「暢さんは何歳で亡くなった?」といった疑問が多く検索されています。
この記事では、やなせ氏の自伝などの確かなエビデンスをもとに、二人の愛の軌跡を徹底解説します。
やなせたかしと妻・小松暢との年の差は?
結論から言うと、やなせたかし氏と妻・小松暢さんの歳の差は「1歳」です。
妻の小松暢さんのほうが1歳年上(いわゆる姉さん女房)でした。

| 生年月日 | |
| 夫:やなせ たかし | 1919年(大正8年)2月6日 |
| 妻:小松 暢(のぶ) | 1918年(大正7年) |
やなせたかし氏は1919年(大正8年)2月6日生まれ、小松暢さんは1918年(大正7年)生まれで、どちらも大正時代に生まれました。
当時、ことわざで「年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ」と言われた通り、1歳年上でしっかり者、かつ行動力抜群だった暢さんは、のちに「頼りなかった」と自称するやなせ氏の人生を引っ張っていく最高のパートナーとなります。
1歳というわずかな年齢差ですが、当時「年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ」と言われるほど、年上の妻を持つことが良いとされていました。
やなせたかしと妻・小松暢との出会いや馴れ初め
やなせたかし氏と妻・小松暢さんの出会いは、戦後間もない1946年の「高知新聞社」がきっかけでした。
高知新聞社での初めての出会い
太平洋戦争中、陸軍の暗号兵として従軍し、中国で敗戦を迎えたやなせ氏は、命からがら高知へ復員し、27歳で高知新聞社に入社します。
そこで同じ編集部に所属していたのが小松暢さんでした。
小松暢さんは『月刊高知』の編集者として働いており、戦後初めて採用された女性記者2人のうちの1人でした。
小松暢さんは色白で美しい見た目ながらも、学生時代には短距離ランナーとして活躍し、「イダテンおのぶ」と呼ばれるほど体育会系で活発な性格でした。
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やなせたかしの一目惚れから結婚へ
やなせたかし氏は後年の自伝や回想録において、小松暢さんとの最初の印象をこう語っています。
「色白で都会的な美しさがあるのに、とにかく気が強くて行動的。その強烈なギャップに、一瞬で心を奪われた」
内向的だったやなせたかし氏にとって、戦後の混乱期を前を向いて颯爽と生きる小松暢さんの姿は、眩いほど魅力的に映ったのです。
小松暢さんは高知新聞社を退職すると、「代議士の秘書になる」と言って上京してしまいます。
小松暢さんを諦めきれなかったやなせたかし氏も、1年後に彼女を追うようにして上京。
漫画家としての将来に不安を抱くやなせたかし氏に対し、小松暢さんは「なんとかなるわよ。収入がなくなったら私が働いて食べさせてあげる!」と言い放ち、その言葉に背中を押された二人は1947年に結婚しました。
やなせたかしの妻・小松暢は何歳で死んだ?乳がん発覚と「余命3ヶ月」の奇跡
アンパンマンが歴史的大ヒットを記録し、ようやく漫画家として確固たる地位を築いた後、夫婦に最大の試練が訪れます。
妻・小松暢さんが乳がんに侵されていることが発覚したのです。
小松暢さんは1993年(平成5年)11月に、75歳で亡くなりました。
「余命3ヶ月」を覆した6年間の奇跡
妻・小松暢さんが医師から告げられた最初の診断は「もってあと3ヶ月」という非情な余命宣告でした。
しかし、ここでも「イダテンおのぶ」の強靭な精神力が奇跡を起こします。
やなせたかし氏の献身的な看病と、妻・小松暢さん自身の「まだまだ死ねない」という気力により、宣告を大幅に超える「6年間」もの歳月を夫婦で共に生き抜いたのです。
妻・小松暢さんは病床に伏しながらも、やなせ氏の仕事のスケジュールを気にかけ、最期まで夫の創作活動を支え続けました。
妻・小松暢が支えたやなせたかしの創作活動
妻・小松暢さんは、やなせたかし氏の創作活動において欠かせない存在でした。
アンパンマン誕生を支えた妻の存在
「アンパンマン」が世に出た1969年当時、やなせたかし氏は50歳という遅咲きの漫画家で、その間ずっと影で支え続けていたのが妻・小松暢さんです。
妻・小松暢さんは「なんとかなるわ」と言い続け、経済的にも精神的にもやなせたかし氏を支援しました。
また、小松暢さん自身も編集者として働いていた経験から、創作活動への理解が深かったと考えられます。
アンパンマン誕生に至るまで、多くの困難を乗り越える中で、小松暢さんの存在が欠かせないものであったことは間違いありません。
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【考察】アンパンマンの「自己犠牲」は妻・小松暢の生き様そのもの
多くのまとめサイトでは「おしどり夫婦の闘病美談」として片付けられがちですが、私は「小松暢さんという存在がいなければ、私たちが知る『アンパンマン』はこの世に誕生していなかった」と確信しています。
やなせたかし氏が『アンパンマン』の絵本を初めて出版したのは1973年、やなせたかし氏が50歳のときでした。
当時の漫画界からは「お腹が減っている人に自分の顔を食べさせるなんてグロテスクだ」「子供受けしない」と酷評の嵐でした。
周囲が猛反対する中、たった一人「これは素晴らしい作品よ、絶対に間違っていない」と全肯定し、励まし続けたのが妻・小松暢さんでした。
自分の身を削ってでも飢えた者を救うアンパンマンの「自己犠牲の精神」と、売れない時代の夫を「私が食べさせる」と支え、病魔に襲われても夫の筆を止めさせまいとした妻・小松暢さんの無償の愛。
アンパンマンの根底にある深い優しさは、やなせたかし氏が妻・小松暢さんから受け取り続けた愛情の記憶そのものが投影されているのではないでしょうか。
『あんぱん』というドラマを通じて、この偉大な妻の功績が広く知れ渡ることは、一ファンとして非常に感慨深いものがあります。
まとめ
やなせたかし氏と妻・小松暢さんの歳の差は「1歳」で、妻が年上。
馴れ初めは戦後の高知新聞社。初の女性記者だった暢さんにやなせ氏が一目惚れ。
暢さんは1993年に乳がんのため75歳で逝去。
「余命3ヶ月」の宣告から6年間生き抜く奇跡を見せ、最期まで夫を支え続けた。
