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俳優として多くのドラマや映画で活躍する志尊淳さんですが、実は壮絶な生い立ちを経験しています。
志尊淳さんの父親はなんと“司祭”という噂もあり、祖父や叔父、祖母までもが音楽家なんです。
しかし、幼少期には両親の離婚や家出など、つらい経験がある志尊淳さん。
この記事では、志尊淳さんの家族構成や幼少期のエピソード、そして志尊淳さんの祖父・祖母・叔父についても詳しくご紹介します。
志尊淳の家族構成
志尊淳さんの家族構成は、父親・母親・5歳上の姉・4歳上の兄・志尊淳さんの5人家族です。

志尊淳さんの両親は志尊淳さんが小学5年生の時に離婚し、母親と兄姉、そして母方の祖母の支えのもとで育ちました。
母親から「実は離婚していて」と打ち明けられたと志尊淳さん本人が複数のインタビューで明かしています。
この時、志尊淳さんと兄・姉は大泣きしながら話を聞いたと語っています。
志尊淳は両親離婚で家出していた
志尊淳さんは17歳の時に家族とのすれ違いから、住民票を移して約1年間にわたり本格的に家出をしたことがあると明かしています。
志尊淳さんが家出した理由は、幼少期の両親の離婚と母子家庭で育った中での反発心や葛藤によるものだったそうです。
家出後に、兄から連絡があって家族で話し合った際に、母親を泣かせたことに「母親泣かすってどういうことかわかっているか」と初めて兄に殴られたというエピソードはがあります。
その後、数年間は連絡をとっていませんでしたが、家族の大切さを深く実感し、母親に恩返しをするために「母が一生安心して暮らせる家を建てること」を目標にしていると語っています。
志尊淳の父親は司祭?
志尊淳さんの父親は、立教大学の司祭(聖職者)を務めている宮崎光さんです。

志尊淳さんの父親・宮崎光さんは、町の教会で20年以上長年牧師として働き、2011年からは母校である立教大学の礼拝や聖歌集の制作に関わっています。
志尊淳さんの父親・宮崎光さんは作曲家・宮崎尚志さんの長男で、芸術家一族の出身です。
志尊淳さんの父親・宮崎光さんは司祭としての経歴を持ち、宗教とともに教育や文化にも深く関わる仕事をされています。
志尊淳の祖父・祖母・叔父も音楽家!
志尊淳さんの家系には音楽家が多く、志尊淳さんの父方の祖父は作曲家の宮崎尚志さん、祖母が初代うたのおねえさんの中野慶子さん、叔父が作詞・作曲家の宮崎歩さん、もう一人の叔父も作曲家の宮崎道さんです。
- 祖父:宮崎尚志さん(作曲家)
- 祖母:中野慶子(初代うたのおねえさん)
- 叔父:宮崎歩さん(作詞・作曲家)
- 叔父:宮崎道さん(作曲家)
志尊淳の祖父・宮崎尚志は広島カープ応援歌の作曲者
志尊淳さんの祖父・宮崎尚志さんは、日本の商業音楽界の重鎮として知られる作曲家です。

宮崎尚志さんは映画やドラマの音楽、コカ・コーラの初代CMソングなどの多くのヒット曲を生み出し、特に有名なのが、広島東洋カープの球団歌「それ行けカープ~若き鯉たち~」を作曲しました。
広島東洋カープの球団歌「それ行けカープ~若き鯉たち~」は1975年から現在まで使われており、広島カープファンの間で長く愛されています。
志尊淳さんの祖父・宮崎尚志さんは生涯で制作した楽曲は1万曲を超えるとされ、幅広いジャンルで活躍し、2003年に亡くなっています。
志尊淳の祖母・中野慶子は初代「うたのおねえさん」
志尊淳さんの祖母・中野慶子さんは、NHK「うたのえほん」(のちの「おかあさんといっしょ」)で初代「うたのおねえさん」を務めた中野慶子さんです。

志尊淳さんの祖母・中野慶子さんは1961年から1964年までNHKの幼児向け歌番組『うたのえほん』(後の『おかあさんといっしょ』)に出演し、1961年10月に「いぬのおまわりさん」をテレビで初めて歌いヒットさせています。
志尊淳さんの祖母・中野慶子さんは長野県松本市出身で、学習院大学文学部英米文学科卒業後、1958年にNHK俳優養成所第1期生として音楽と演劇を学びました。
その後、1964年に作曲家の宮崎尚志さんと結婚し、家庭を築きながらもプロデューサーや歌手として活動を続けました。
志尊淳の叔父・宮崎歩はジャニーズに楽曲提供
志尊淳さんの叔父・宮崎歩さんは、ジャニーズグループの嵐やKAT-TUN、KinKi Kids、関ジャニ∞など数多くの人気グループに楽曲を提供しています。

- 嵐「ハダシの未来」(2003年):コカ・コーラCMソングとしても有名
- 嵐「言葉より大切なもの」
- KAT-TUN「DRIVE ME DRIVE ON」
- KAT-TUN「ど~にかなるさ」「ノーマター・マター」
- その他、タッキー&翼やKinKi Kidsなど多くのグループへの楽曲提供も多数
志尊淳さんが「VS嵐」に出演した際にも、自身の叔父が宮崎歩さんであることを公表し話題になりました。
志尊淳さんの叔父・宮崎歩さんは中学生時代からバンド活動を始め、高校ではギタリストとして評価され、20歳で作詞家デビュー、25歳で作曲家としてヒットしました。
宮崎歩さんは、アニメ「デジモンアドベンチャー」シリーズの主題歌や挿入歌も多く手がけており、J-POPやアニソンへの楽曲提供など幅広い分野で活躍しており、200曲以上の楽曲制作実績を持っています。
志尊淳の叔父・宮崎道も作曲家
志尊淳さんのもう一人の叔父・宮崎道さんも有名な作曲家です。

宮崎道さんはバンド「Elpis」のリーダーを務めており、6歳からピアノの英才教育を受け、高校卒業後は父・宮崎尚志さんのアシスタントを経て、22歳から本格的に作曲家として活動を開始しています。
宮崎道さんは映画音楽や舞台音楽、管弦楽曲、宗教音楽など多岐にわたるジャンルで作曲を行うアーティストで、志尊淳さんと同じ学校出身であることも知られています。
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まとめ
志尊淳さんは、芸術一家に生まれながらも、幼少期には両親の離婚や家出など、決して平坦ではない道を歩んできました。
しかし、その経験こそが今の志尊淳さんの強さや優しさを育てたのかもしれません。
これからも俳優として、そして一人の人間として、志尊淳さんのさらなる活躍から目が離せませんね。
