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俳優として多くのドラマや映画で活躍する志尊淳さんですが、実はその家族も驚くほど華やかな経歴を持っています。
志尊淳さんの叔父は、ジャニーズに深く関係しており、嵐やKAT-TUN、KinKi Kidsなどに楽曲を提供する有名な作詞・作曲家。
また、祖父は広島カープの応援歌「それ行けカープ」を作曲し、祖母はNHK『おかあさんといっしょ』の初代「うたのおねえさん」として活躍した中野慶子さんです。
まさに音楽と芸術にあふれた一家で育った志尊淳さん。
この記事では、志尊淳さんの家族の華やかな経歴や家系図、そして音楽一家ならではのエピソードをわかりやすくご紹介します。

志尊淳の叔父はジャニーズに楽曲提供
志尊淳さんの叔父は、ジャニーズの嵐やKAT-TUN、KinKi Kids、関ジャニ∞など数多くの人気グループに楽曲を提供していることで有名な作詞家・作曲家の宮崎歩さんです。
志尊淳さんが「VS嵐」に出演した際にも、自身の叔父が宮崎歩さんであることを公表し、話題になりました。
宮崎歩さんは、アニメソングやJ-POP、さらにはジャニーズ事務所のアーティストへの楽曲提供など幅広い分野で活躍しており、200曲以上の楽曲制作実績を持っています。
宮崎歩のプロフィール
宮崎歩さんは1971年8月25日生まれ54歳(2025年時点)、東京都出身のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家です。

父は作曲家の宮崎尚志さん、母は歌手の中野慶子さん、兄は作曲家の宮崎道さんという、音楽一家に生まれ育ちました。
中学生時代からバンド活動を始め、高校ではギタリストとして評価され、20歳で作詞家デビュー、25歳で作曲家としてヒットを飛ばしました。
アニメ「デジモンアドベンチャー」シリーズの主題歌や挿入歌も多く手がけており、J-POPやアニソンの分野でも広く知られています。
ジャニーズへの代表的な提供曲には嵐の「ハダシの未来」など多くの楽曲を提供しています。
志尊淳のもう一人の叔父も作曲家?
志尊淳さんのもう一人の叔父、宮崎道さんも有名な作曲家です。
宮崎道さんはバンド「Elpis」のリーダーを務めており、6歳からピアノの英才教育を受けていました。
高校卒業後は父・宮崎尚志さんのアシスタントを経て、22歳から本格的に作曲家として活動を開始。
テレビ番組のテーマソングや舞台音楽も手がけ、幅広いジャンルで活躍しており、兄弟である宮崎歩さんと共にアマチュアバンドに参加し、音楽の道を極めてきたことも特徴です。
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志尊淳の祖父は広島カープ応援歌「それ行けカープ」作曲者
志尊淳さんの祖父は、作曲家の宮崎尚志さんです。
宮崎尚志さんは、映画やドラマ、CM、校歌、社歌など幅広いジャンルで1万曲以上を作曲した日本の商業音楽界の重鎮です。
特に有名なのが、広島東洋カープの球団歌「それ行けカープ~若き鯉たち~」の作曲者であることです。

この曲は1975年から現在まで使われており、広島カープファンの間で長く愛されています。
宮崎尚志さんは、コカ・コーラの初代テレビCMソングや「赤福餅のうた」など、誰もが耳にしたことのある楽曲を数多く手がけました。
志尊淳の祖母は初代「うたのおねえさん」
志尊淳さんの祖母は、NHK「うたのえほん」(のちの「おかあさんといっしょ」)で初代「うたのおねえさん」を務めた中野慶子さんです。

志尊淳さんの祖母・中野慶子さんは長野県松本市出身で、学習院大学文学部英米文学科卒業後、1958年にNHK俳優養成所第1期生として音楽と演劇を学びました。
中野慶子さんは1961年から3年半「うたのおねえさん」として活躍し、1961年10月にはテレビで「いぬのおまわりさん」を初めて歌い、大ヒットとなりました。
その後、作曲家の宮崎尚志さんと結婚し、家庭を築きながらもプロデューサーや歌手として活動を続けました。
中野慶子さんは「いぬのおまわりさん」を初めて歌った歌手として知られ、童謡や子ども向けの音楽を広める活動に長年携わってきました。
志尊淳の家族構成まとめ!志尊淳の家系は音楽一家
志尊淳さんの家族構成は、父親・母親・兄・姉・志尊淳さんの5人家族です。

志尊淳さんの父方の祖父が作曲家の宮崎尚志さん、祖母が中野慶子さん、叔父が宮崎歩さん、宮崎道さんです。
志尊淳の両親は離婚している
志尊淳さんの両親は、志尊淳さんが小学5年生の時に離婚しました。
母親から「実は離婚していて」と打ち明けられたと本人が複数のインタビューで明かしています。
この時、志尊淳さんと兄、姉の3人きょうだいは大泣きしながら話を聞いたと語っています。
離婚後は、母親が女手一つで3人の子どもを育て上げました。
経済的にも厳しい状況となり、「色んな事情が重なって夜逃げみたいに家を出ていくことになった」と当時を振り返っています。
母親は朝から晩まで働き、母方の祖母のサポートも受けながら、家族一致団結して生活し、志尊淳さんは母親ととても仲が良く、何でも相談できる関係だと語っています。
志尊淳の兄は4歳上
志尊淳さんの兄や姉は、いずれも一般の方で、職業や詳しい経歴は公表されていません。
志尊淳さんの兄は、名前が「ケンさん」で志尊淳さんより4歳上で、2017年に結婚しており、家族思いでしっかり者の兄として知られています。
志尊淳さんが17歳で家出した際には、母親を泣かせたことに怒り、兄が志尊淳さんを殴ったというエピソードもありました。
志尊淳さんの兄は「志尊淳が弟だと知られたくない」と感じることもあったようですが、現在は良好な関係で、志尊淳さんも「優しくて頼もしくて素敵な兄」と語っています。
志尊淳さんの姉は一般人で、海外生活が長く英語が得意だと言われています。
志尊淳さんの芸能活動にはあまり興味がなく、志尊淳さんの作品を一度も見たことがないと志尊淳さん自身が明かしています。
姉弟の仲は良好で、志尊淳さんが「姉と腕を組んで歩く」と話すほど仲が良い関係です。
また、姉は天然な一面もあり、志尊淳さんの話題や有名人の名前にもあまり詳しくない様子がテレビ番組で語られています。
まとめ
志尊淳さんの家族は、祖父が広島カープ応援歌「それ行けカープ」やCMソングを手がけた作曲家・宮崎尚志さん、祖母がNHK初代「うたのおねえさん」中野慶子さん、叔父2人が作詞・作曲家の宮崎歩さんと宮崎道さんという、まさに日本を代表する音楽一家です。
志尊淳さん自身は俳優として活躍していますが、家族の芸術的な才能と温かい絆が、今の志尊淳さんを支えていることがよくわかります。